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スポーツは何といってもフェアプレーが基本。たとえばドーピングは、フェアプレーの精神、スポーツパーソンシップに反する最も卑怯な行為。たとえ不注意であっても、判断を間違えたということであっても、もしアンチ・ドーピング規則違反を行ったということになれば、アスリート自身が自己責任を負わなければなりません。その一方で、アスリートだけがアンチ・ドーピングに関する知識を持ち適切な対応をするべきということではなく、まずはアスリートの育成に関わる指導者たちが率先して勉強してもらいたいと思っています。指導者の基本的な考え方に、アスリートは非常に影響を受けますから。
指導者の存在がいかに大きなものであるか、私は身をもって体験しています。私が柔道を始めたのは小学4年生になってすぐの頃で、当時は相当のわんぱく坊主でした。しかし、中学校で白石礼介先生という素晴らしい師と出会い、本格的に柔道に向き合い、柔道と日常生活、柔道と人生がつながっていることを学びました。
柔道では投げられることもある。怪我をすることも負けることもある。しかし、失敗してもみんな立ち上がって相手に向かっていく。ルールを守り、礼を尽くし、仲間と力を合わせて、戦う相手に対しても尊敬の気持ちを失わない。柔道で大事にしていることを普段の生活でも大事にしていけば、たとえ柔道で勝てなかったとしても、みんなが自分自身の人生のチャンピオンになれるんだ。恩師のこの教えは、柔道そして日本の近代スポーツの創始者である嘉納治五郎先生の教えそのものです。
嘉納先生は、柔道の「道」-柔の道-とは何かを常々説いておられた。道というのは、柔道を通じて学んだことを日常生活や人生で活かすということ。この教えを受け、私は変わることができました。やはり大事なのは、現場の指導者。指導者次第で、アスリートや子どもたちが変わり、目標に向かって各自が成長していけるのだと思います。
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1985年の現役引退後は、母校東海大学柔道部監督から始まり、アトランタ及びシドニーオリンピックや世界選手権の全日本チームの監督、国際柔道連盟の教育コーチング理事などを務めてきました。
教育コーチング理事としては、柔道の「道」というものを、アスリートはもちろん監督やコーチといった指導者にも改めて理解してもらうことを何より心がけてきました。柔道で大切なのは、リスペクト。柔道ではルールを守って、仲間と共に競い合い、戦う相手に対しても尊敬の気持ちを失わない。相手がいるから自分を磨き高めることができる。だから礼をする。
これこそが嘉納先生が説かれた柔道の心です。世界にこの心が広がることが私の理想であり、柔道が目指すものは何なのか、柔道で最も大切なことは何なのかということは、アスリートにも指導者にも、ずっと繰り返し伝えてきました。
大日本体育協会の設立やオリンピックへの参加、日本の学校教育へのスポーツの導入などに尽力された嘉納先生は、スポーツを通した教育的価値が青少年の健全な育成に寄与し、スポーツがより良い社会創りにつながることを目指しておられたのだと思います。それは、ピエール・ド・クーベルタン男爵が近代オリンピックの再興を提唱された時も同じだったかもしれません。
オリンピックのようなスポーツの場に世界各国・地域の人々が集まることを通して、相互理解を深め、異文化交流を進めていく。そのことが、平和な社会につながっていくのだ、と。それがスポーツの生来的な価値であり、時代が変わっても変えてはいけないもの。市民スポーツであれ、世界の頂点を目指し自身の限界まで挑戦するチャンピオンスポーツであれ、どんなレベルのスポーツであっても、この部分は大事にしていかなければならないと思っています。
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新型コロナウイルスが世界的に感染拡大していくなかで、社会全体がこれまで経験したことのない、そして先がなかなか見通せないという大変な状況に直面しました。アスリートをはじめ、スポーツ関係者にとっても、これほど活動が制限されるというのは、これまでに世界的にもなかったかと思います。
そういう中で我々が認識したことの一つは、スポーツとは、平和で安心して暮らせる社会の中で成り立っているものであるということです。社会が平和であればこそ、我々多くのスポーツ関係者が果たせる役割があるということを、実感したと思います。
日本では、新型コロナウイルスの状況下でさまざまなスポーツ活動が再開されるようになってから、国民に明るい話題を提供することとなりました。やはり我々人間は、夢や希望、「光」があるからこそ、前を向き生きる糧を持てる。そして、スポーツはそういう光に成り得ると、私は改めて痛感しました。
一方で、新型コロナウイルスの感染拡大がきっかけとなり、心と身体の健康の重要性が再認識されてきました。多くの人が無理のない範囲で計画的に身体を動かしたり、ストレスを発散したり、自らの心身の健康に気を遣ってもらいたいと願っています。みんなストレスを抱えているような現在の社会の中で、互いを傷つけず、自分自身も傷つかず、互いに助け合える社会になっていって欲しいですし、そういう面でスポーツや芸術というものはもっともっと寄与できると、私は思っています。
逆境というものは、その人が自らの成長の機会として捉えることができたときこそ、糧になります。どんな状況であれ、その人の受け止め方によって、それは光にも闇にもなりますし、結果も全く変わってきます。世界が初めてといってもよいウイルスによる逆境に直面したことを機に、人々が自身の生き方、身の処し方というものを振り返りながら、より良い社会、より良い自分を模索していくという形になっていけば、新たな光が見えてくるのではないのでしょうか。
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私たちスポーツ関係者にとって何より大切なのは、「スポーツの原点とは何か?」ということを常に考え、いつまでも見失わずにいることだと思っています。
世界の頂点を目指して限界に挑戦し、不可能を可能にしていくことは素晴らしいことですし、それを通して多くの人に夢や感動、希望を感じてもらうのも尊いことです。しかし、スポーツの価値はそこだけにあるわけではありません。
スポーツそのものが、フェアな社会、人々が互いに助け合う社会、そして一人一人がより健康でいきいきと自分らしく生きる社会を創ることに寄与する力を持っています。そしてスポーツは、人と人、国と国とをつなぐ可能性を持っているのです。私は、今こそそうしたスポーツの本当のチカラや可能性を未来に向かって再認識し、多くの人々と共有していきたい。時代が変わっても我々が変えてはいけないスポーツの原点、そこを見失ってはいないかと振り返ることも、時には必要だと思っています。
そのためには、日本オリンピック委員会(JOC)をはじめ、各競技団体や日本スポーツ協会(JSPO)、日本パラリンピック委員会(JPC)といったスポーツに携わるさまざまな機関と連携を図ることも重要です。このバトンを次の時代の人たちに託すべく、多くの人と手を携えてスクラムを組み、未来につながる波をつくっていけたらと思っています。
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スポーツの経験というものは、人生に活かしていくことで初めて価値があります。嘉納治五郎先生が伝え、中学時代の恩師が私に教えてくれた柔の道やスポーツの価値は、今でも私の中で全く変わっていませんし、それを世界の多くの人々に伝えたいという気持ちも変わっていません。
スポーツパーソンシップを通し、フェアな社会を創っていくこと。
スポーツが人々の心と身体の健康に寄与すること。
そして誰もが、目先の勝利を超えた「人生のチャンピオン」になること。
その実現のためにも、やはり我々が目指すべきは、アスリートのみならず、あるいはそれ以上に、指導者の方々や競技団体などが学び続けることが重要であると考えます。「この先生の教えを素直に聞いていけば必ず強くなれる」と信じている子どもたちに、「スポーツは決してきついもの、苦しいものではなく、楽しいものなんだ。勝った負けたにこだわる必要は必ずしもない」と伝えられ長期的な視点を持つ指導者が育って欲しい。そして、JOC会長の責務として、次のスポーツ界を担うリーダーを探し育てていくことも大事であると思っています。
どれだけ時代が変わっても、人間が人間らしく生きていくために必要不可欠なものとして、人々に光をもたらすスポーツが、これからも存在し続ける-それこそ私が願うところですし、夢というものは実現させるためのものだと信じています。そんな私の姿を嘉納先生はどう見てくださっているのかなと、常にその存在を感じながら、自分の夢を実現していきたいと思っています。
9歳のころより柔道を始める。
1984年のロサンゼルスオリンピック柔道・男子無差別級で優勝、同年に国民栄誉賞受賞。現役引退までに203連勝、対外国人選手生涯無敗、柔道全日本選手権9連覇、世界選手権4連覇。
引退後は男子日本代表監督などを経て、2017年6月から全日本柔道連盟会長。国際柔道連盟(IJF) 理事、2019年に日本オリンピック委員会(JOC)会長、2020年に国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。