© Yuki Saito
スポーツとは、それ自体がユニークなもの。世界中の誰もが理解でき、気持ちを分かち合える共通言語のような存在 – それがスポーツ。スポーツへの関わり方は人によって異なり、自身が競技に参加することもあれば、サポーターとして地元のサッカーチームを熱烈に応援することもあるでしょう。しかし、どのような関わり方であったとしても、スポーツはあらゆる人にとって何かしらの意味や価値を持っていると言えます。
世界共通の「言語」という観点では、音楽や映画もそれに近いかもしれません。しかし、どちらもスポーツほどではない。スポーツこそ、真の意味での共通言語だと思います。
人生がそうであるように、スポーツも絶えず変化し、進化します。しかし、スポーツの「真の価値」は時間も時代も超越し、色あせることなく受け継がれていくものです。「寛大な心を持って勝ち、尊厳を持って負ける」という言葉をご存じでしょうか。スポーツとは、人間性そのものを表します。勝ち負けを通して成功と失敗を学んだり、チームワークによって自身に誠実に向き合うことが求められたりします。これらすべてが、スポーツから学ぶことができる、人生における大切な教訓だと思います。
© Sebastian Coe
11歳で地元のスポーツクラブで陸上競技を始めた時から、単一競技で一番大きな国際競技団体であるIAAF(国際陸上競技連盟)の会長になり60代を迎えた今に至るまで、人生で行ってきたことすべてが極めて特別でした。スポーツが私の人生を変え、人生を形作ってきたのです。
何か一つの瞬間が特別なものとして輝きを放つということではなく、スポーツを通して得た様々な瞬間が、私の人生に深く影響を与えています。
幸運なことに、私は1980年モスクワ、1984年ロサンゼルス・オリンピック競技大会で金メダルを獲得することができました。競技を引退してからは、議員としてスポーツ政策に携わり、国際オリンピック委員会(IOC)の委員、放送局のキャスター務めたりするなど、さまざまな経験を積み重ねてきました。そして、2012年ロンドンオリンピック・パラリンピック競技大会の招致委員会委員長として大会計画を作り、組織委員会会長を務めた経験も、私の人生の中で大きな位置を占めています。
様々な立場からスポーツの世界に長年携わってきた中で目の当たりにしたのは、スポーツにはあらゆる物事を乗り越える力があるということです。1989年以前に、ドイツのベルリンにあった「壁」に象徴されるように、世界は東西に分断されていました。しかしそういった時代でも、スポーツはその「壁」を越える大きな役割を果たしてきました。
これらの全てが、私にとって輝きを放つ瞬間であり、スポーツこそが私の人生の根底にある道しるべであったと言えます。
© Yuki Saito
2012年ロンドン・オリンピック競技大会初日の朝、スタジアムが観衆で埋め尽くされ、一席の空席もなかったのを自分の目で見た時、それはまさに「世代を超えてインスピレーションを(Inspire a Generation)」という2012年大会のコンセプトが具現化された瞬間だったと言えます。オリンピック・パラリンピック競技大会が若者を含む様々な世代を惹き付け、インスピレーションを与えることに成功した証だと実感した瞬間です。
競技形式の改善や、男女混成のミックスリレーのような新規種目の導入など、未来に向けて変えていかなければならないところがスポーツにはまだあると考えています。ただ、若者を魅了するために、大がかりな装飾や、スポーツのフィールド以外でのアトラクションなどに工夫を凝らすことで若者を引き入れようとする風潮が現在あることについて、残念に思っています。スポーツは、それ自体に十分な魅力があり、ほかの要素を人工的に創り出す必要はありません。
そのために私は、IAAFに「バリュー委員会 (Values Commission)」を創設しました。若者たちがスポーツの価値を自分たちの言葉として語り、実感できるようにするにはどうしたらいいか。例えば、「オリンピックの価値」としてよく聞かれる言葉である“勇気”や“尊敬”といった単語も、彼らは私たちの世代とかなり違った意味で捉えているのかもしれません。若者たちにきっかけを作ることで、彼らは自らの言葉で発信できるようになる。そしてスポーツの価値といった言葉に、若者たちによって新たな視点が与えられるようになってくるのです。それが語り継がれていきます。
多くの若者がオリンピックの価値やスポーツに内在する価値を考え、自らの言葉でそれを発信できるようなきっかけ作りをすることが大切だと考えています。
2012年ロンドン大会開催前から、「Get Set」という、若者たちがオリンピック・ムーブメントの価値を考える機会を創出する教育プログラムを展開しました。そしてイギリスでは今、「GCSE」という中等教育修了試験における地理の試験で、2012年ロンドン大会のオリンピック・パークに関連する設問が多数を占めているという事実もあります。言い換えれば、オリンピック・パラリンピック競技大会がスポーツを超えて、多くの領域に影響を及ぼしていることがわかります。
© Yuki Saito
2012年ロンドン大会での経験から確信したことは、オリンピック・パラリンピックを開催することのレガシーは、スポーツから派生してスポーツを超えた、数々の領域への広がりだということです。開会式の演出やカルチュラル・オリンピアードを目の当たりにして、音楽家になりたい、ダンサーになりたい、美術を本格的に学びたいと思う人もいるでしょう。オリンピック・パラリンピックは、このように文化やスポーツの領域で多くの若者に影響を与えることができるのです。オリンピック・パラリンピックに触れることで、若者らが自身の新しい可能性に気づき、将来につながる一歩を踏み出すきっかけとなることを期待しています。
1つの国でオリンピック・パラリンピックが開催しますが、そこには200以上の国と地域が参加します。つまり、国内イベントであると同時に、国際的な大イベントでもあり、いかにバランスを取り、レガシーを残せるかが大切です。大会ごとに毎回異なる特徴があり、独自性を持っていることに意義があります。だからこそ、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会は、他の大会とは違う素晴らしいものになると信じています。
© Yuki Saito
私はスポーツの中に、時空を超越した真の価値を見出しました。アスリートは、日々のトレーニングの日誌をつけている時こそが最も誠実になる時、つまり100%の自分と向き合い、自身のインテグリティと対峙する瞬間です。誠実さとは、禁止物質を摂取しないこと、競技で不正を行わないことでもあります。誠実さとは、組織の運営方法にも当てはまり、フェアプレーの精神は、スポーツのフィールドだけで発揮されるものではありません。会議室の中で行われる役員会でも、互いの誠実さが求められるのです。
スポーツは、国境を越え、政治・文化・言葉の垣根を越えていくことができます。スポーツ、特にオリンピック・パラリンピック競技大会は、様々な扉を開け、様々な機会を創ることができます。世界中の若者が、どこに住んでいても、どのような政治状況に置かれていても、また、どのような文化・宗教的な背景を背負っていても、新しい自分を見出すためのきっかけとしてスポーツを利用してほしい。時空を超えて繋がれていくスポーツのユニークさそのものに価値があると私は信じ、誠実に向き合っていきたいと考えています。
1980年モスクワ、1984年ロサンゼルスの陸上競技1500mでオリンピック2大会連続金メダルを獲得。引退後、1992年から1997年までイギリスの保守党議員を務める。2000年に男爵の爵位を授与され、貴族院議員へ。2012年のロンドンオリンピック・パラリンピック競技大会では、招致委員会委員長、組織委員会会長を務めた。2015年より国際陸上競技連盟(IAAF)会長を務める。