© Yuki Saito
自分に対して誠実であれば、成功と呼べる結果を残すことができる ― それが、スポーツが私に教えてくれたことです。スポーツでは、その人の誠実性も嘘も、そのまま結果に反映されます。トレーニングをやっていないのに「やった」と嘘をついたとしても、それが嘘であることは、次の試合の結果に表れるのです。そして同様に、誠実さは人生においてもまた大切であることを、私はスポーツから学びました。
脚を切断し、人生で最も厳しい状況に置かれた私を助けてくれたのはスポーツでした。スポーツによって、自分自身を受け入れることができたのです。スポーツは私にとって最高の良薬(best medicine)でした。スポーツは人々の人生を変え、世界も変えることができる。スポーツの力は本当に大きいのです。だから、私たちにはスポーツを守る必要があるのです。
また、スポーツはいかなる差別も生み出しません。これも、スポーツから学んだ最も重要なことのひとつです。ドイツ出身でも日本出身でも、肌の色も、体格も、障がいの有無も関係ありません。スポーツはその人自身の感情に基づくものなのです。同時に、スポーツとは自由なものであるべきで、私はスポーツの土台、スポーツの根本に本当にあるものは何かについて、理解を生み出したいと思っています。
私はスポーツがビジネスとして見られることを望んでいません。スポーツがビジネスとなってお金が絡むようになると、結果がアスリートやその周囲の経済的な環境を左右することになり、そこに過度な重圧も生まれます。ある自転車競技の金メダリストは、転倒事故によって車いす生活を余儀なくされてしまった時、こう言いました。「今、人生で初めて、自由な人間になれたように思う」。つまり、オリンピックはスポーツの祭典でありながら、あまりに多くのプレッシャーを生み出してしまっていました。
© Yuki Saito
私には忘れられない思い出があります。それは、脚を切断したのち、小学校での最初の体育の授業のことです。先生が二人の児童にメンバーを選び、バレーボールのチームを作るよう指示した時、二人ともチームに私を入れようとしませんでした。私は、自分で人数が足りないチームに、「僕も入れてくれない?」と頼まなければならなかったのです。
その時、深く傷つきました。でも、単純に彼らが選ばなかったのは、私がバレーボールが得意でもなく、運動能力が高い子どもでもなかったからであって、私が脚を切断しているから選ばなかったわけではないのです。子どもは正直であり、彼らは常に一番運動能力が高い子ども、スポーツが得意な子どもを探していただけなのです。
その時私は、自分がスポーツが得意になれば、彼らに受け入れられ、もう二度とあんな悔しい状況を味わわなくてもよいのだと気が付きました。誰であれ、自分の置かれている状況を人のせいにはせず、自分の力でなんとか切り拓いていかないといけないのだ、という教訓を得ました。そして、人生の成功と自分自身を受け入れる良薬にスポーツがなるのではないかと思うようになりました。
もう一つ、忘れられない出来事があります。パラリンピックで金メダルを獲得した時、父が最初にかけてくれた言葉です。父はとても真剣な表情で私の顔を見つめ、「よく聞きなさい。お前は、自分がどこから来たのか忘れてはいけない」と言ったのです。それは、今まで私を支え、助けてくれた人たちのことを忘れるなという意味でした。「それを忘れたら、お前の大切なファンたちも、人生のサポーターとしての私も失うことになる」。父はそう言った後、「おめでとう、君を誇りに思っている」と初めて言ってくれたのでした。
人生は結局のところバランスです。誰かに支えてもらったことを忘れ、誰かを支えることを怠れば、次に人に支えてもらうことは望めないのです。私もまた、親友や両親といった大切な人たちによって、私がバランスのとれた生き方を失わないよう、折に触れて支えられてきました。
© Ottobock Japan
パラアスリートにとって必要なのは、困難に直面している時や、ネガティブな状況に置かれている時こそ助けてくれるパートナーの存在です。そして、パラスポーツを観戦する人たちもまた、とても大切な存在です。観戦者から愛されていること、誇りに思われていることを感じなければ、私たちがスポーツを続ける理由が色褪せてしまうことでしょう。
アジア太平洋地域では、パラスポーツへの理解が急速に進みつつあることを実感しています。この地域では、お互いをいたわりあう文化があるからか、非常に理解が進んできていると思っています。
もちろん、開発途上国には、パラスポーツどころか障がい者に対する福祉さえ行き届いていない国もたくさんあります。脚を失っても義足を着けることができない子どもが多くいます。しかし、パラスポーツには、こうした人々のモチベーションを上げる力があります。たとえ貧しくても、たとえ途上国出身でも、人々が自分自身を信じることができるきっかけが必要です。私自身を含め、パラアスリートは、人生における辛い出来事を乗り越えてスポーツができていることに感謝しており、スポーツに対してとても敬意を払っています。自分の人生を生きられる機会を得たこと、スポーツを通じてQOL(生活の質)を得ていることに対して、感謝の念を強く持っているのです。
© Yuki Saito
人々は常に成功のためのレシピを探していますが、成功のためのレシピなどありません。必要なのは、自分自身を信じ、自分らしさに集中することです。私が競技を始めた時、誰も私がアスリートとして大成するなどと思っていませんでした。けれど、私は自分自身を信じていたし、コーチも両親も私を信じ続けてくれたので、スケジュールよりも楽しむことを優先するという私らしいやり方で、トレーニングを進めていきました。その結果、私はドイツで最も成功したパラアスリートの一人となれたのです。
また、成功への道のりは何通りもあるはずです。例えば、健常者のアスリートとパラアスリートがトレーニングを共にすれば、お互いに学びになることがたくさんあると思います。互いに競い合って、共に成功することができます。
私は今、スポーツの土台、スポーツの根幹にあるものに対して、人々のさらなる理解を深めたいと考えています。理解が深まれば、人々はスポーツに対してさらに敬意を払うようになるでしょう。人々がスポーツを真に理解し、敬意を払うようになれば、アンチ・ドーピングのためのキャンペーンすら必要がなくなるはずです。
私は将来について大きな願いを持っているわけではなく、プライベートでも、スポーツでも、仕事でも、すべてにおいて今やっていることを変わらず続けていくことを望んでいます。それは、今自分が幸せであり、将来も幸せでいたいからに他なりません。願いはただ一つ、今の自分と同じ人間であり続け、良いことを続けられることだけです。
© Yuki Saito
スポーツをしている時、私の心には幸福と感謝があふれ、自分の肉体を直接感じることができます。競い合うことすらプレッシャーではなく、楽しみです。スポーツはすべてが“楽しい”という気持ちに基づくものですし、スポーツをする人の幸福こそが一番大切なのです。そしてその幸福を感じるためには、自分自身を受け入れることが必要です。
私が片脚を失うほどの病に冒された時、私の主治医は率直に私の病状や治療方法を話してくれました。彼が私に対して誠実であってくれたからこそ、私は今ここにいられるし、私という人間でいられるのだと思っています。
また、脚を切断したあとに出会ったパラアスリートは、「君にはネガティブとポジティブという二つの道がある。ポジティブな道は非常に困難を伴うが、君ならできるだろう。自分の道は自分で決めないといけない」と、心をこめて語りかけてくれました。私は常に、私に誠実に接してくれる人たちによって支えられてきたのです。今私は、下肢切断者にスポーツ用義足での走り方を指導するランニングクリニックという活動を行っています。この活動を通じて人々にお返しているのは、こういった支えあいの考え方が根底にあるからなのです。
人に誠実に、親切に接していれば、自分の周囲にも親切な人が集まります。不親切であれば、不親切な人が集まる。嘘をつけば、自分に嘘をつくような人が集まる。嘘をつけば、鏡があなたに真実を見せつけます。人生において人がどのような状況にあろうとも、その人の目の前には鏡があって、あなたの行動を映し出します。これが、私からあなたへのメッセージです。
カザフスタンに生まれ、7歳で家族とドイツへ移住。
9歳の時に骨肉腫が見つかり左脚を切断する。
13歳から陸上競技を始め、アテネ2004パラリンピック競技大会に初出場。
ロンドン2012では100mで金メダル、リオデジャネイロ2016では、走幅跳においてパラリンピック記録で金メダルを獲得した。
2018年11月現在、100m、走幅跳の世界記録保持者。
2018年に現役引退。現役時代からの活動である下肢切断者のためのランニングクリニックで世界を飛び回る日々を送る。