© Yuki Saito
ちょうど2014年ソチオリンピックの前後から感じ始めたこととして、『人生はプラスマイナスゼロ』だということがあります。人生はプラスとマイナスが交互に訪れ、良いことの後に悪いことがあり、悪いことの後に良いことがある。辛いトレーニングの後に競技で良い結果が出せたり、良い結果の後に、まるで対価のようにマイナスな出来事が待っていたり。それを繰り返しながら、最後は死というゼロの瞬間に向かっていくのだから、今も未来も、あれこれ考えてプラスだマイナスだと一喜一憂する必要はない。そう感じていた時に、“人間万事塞翁が馬”ということわざを知り、ストンと腑に落ちました。
それが僕の人生観であり、この考え方の出発点がノルディックコンバインドという競技なのです。
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アスリートとして、そして人として大きな影響を受けたのが、2011年のFISノルディックコンバインド・ワールドカップで見たジェーソン・ラミーシャプイの行動です。競っていたライバルのストックを誤って踏み、折ってしまったシャプイは、そのままレースを続けてライバルを引き離すこともできたにも関わらず、ライバルがスペアのストックを受け取るのを待ってレースを再開。そして、堂々と優勝したというレースがありました。その当時、僕自身はそんなシャプイのチャンピオンとしての振る舞いの仲間にも入れない程度の頃でしたが、ただ勝てば良いのではない、勝つまでのプロセスに意味がないと、たとえメダルを取ってもその価値はなくなってしまう、と強く感じました。
トレーニングだけなら、きっとどのトップのアスリートもほとんど差がないと思います。真のチャンピオンになるには結局、最後は人間力が求められる。
『言霊』という言葉があるように、その人の日常生活の積み重ねが言動や表情に出ると私は思っています。だからこそ、人の目に自分がどう映るかということを普段からしっかり考えています。自分の立ち居振る舞いや言動を意識し、きちんと人前で発言できる人間でいないと、いざ発言を求められる場になった時にボロが出てしまう。僕は、老若男女どの人からも、「この人はしっかりした人だなあ」と感じてもらえるような人間でありたいと思っています。自分が品格というものを求めていくなら、普段からどんな言動や立ち居振る舞いをすべきかを意識し、その積み重ねを大切にして自分の人間としての力を付けていくことが、真のチャンピオンに近づく道だと思っています。
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日々の積み重ねがその人の人間力につながっていくのであれば、「今この瞬間、自分はどうあるべきか」、それを僕は常に考えています。
競技だけをやっていると、どんどん視野が狭くなってしまう。だから、語彙を増やし、表現力を高めるため、本をたくさん読むようにしています。本だけではなく、いろんな人に会ったり、知らない世界に飛び込んで情報を得たりして、視野を広げることも必要です。
トレーニングでも新しい情報は積極的に取り入れます。僕はもともと専属コーチがいないので、トレーニングの情報を得たら、まずは自分で組み合わせを考えながら試してみて、より良い方策などを学び、徐々に知識として自分の中に落とし込んでいきます。
専属コーチがいないと絶対的に信頼できる情報が持てず、何に対しても常に半信半疑の状態で確固たる自信をもてない、という面があります。ただ逆に、誰かの指示ではなく、自らトライ&エラーを積み重ねることで、それが確実に力になっていくという強みもあります。僕はやはり、成功の中からではなく、失敗したり恥をかいたりしたプロセスから学んでいることのほうが多いと思います。何より大切なのは、いろんな引き出しを蓄え、さまざまな状況に臨機応変に対応しながら、自身で知識や知恵などを体得していくこと。そして、現状に対し、自分はどうあるべきかを考え、行動すること。それによって、アスリートとしてだけではなく、人間としての強みが出るのだと思っています。
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「将来の目標は?」と聞かれることが多いのですが、正直に言うと、そういうことはあまり考えていません。将来の『なりたい』より、今の『あるべき』という姿、自分を全うするためのあり方を追求したいから。
例えば、チャンピオンとしての言動や立ち居振る舞いは、1年かけなくても、今からでも実行できることは多くあります。『なりたい』には『なれないかもしれない』というあきらめが混ざっている気がするけれど、今この瞬間の『あるべき』という姿は、今できることだからこそ逃げられないし、あきらめは通じない。その姿を実現するため、その瞬間に最善を尽くし、それを日々積み重ねていけば、1年後には『なりたい』を超えた自分になれているんじゃないかなと、思っています。
もちろん、僕にだってブレもあるし、「言っていることとやっていることが矛盾しているな」、と自分で感じることもたくさんあります。そんな自分を、あるべき自分の姿に引き戻していくのは、本当に難しいし、大変なこと。それに比べれば、トレーニングのキツさなんて全然大したことないぐらいです。
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人生はプラスマイナスゼロ。良いことも悪いことも塞翁が馬だし、大切なのはプロセスです。スポーツはルールという制限があるからこそ面白い。海外の大会では限られた条件の下で、目の前の現状をいかに受け入れいかに対応し、自分がどうあるべきかをゲーム感覚で考え、置かれた状況に対して最善を尽くして楽しむようにしています。人として真っ当でないプロセスを経て、その時だけの結果を得るより、正しい生き方、真っ当な生き方はこうだと自分で信じて歩むほうが、ずっと気が楽に生きられるんじゃないかなと、僕は思っています。
このような考えを、以前は「スライムのように」と例えていたのですが、“上善如水(じょうぜんみずのごとし)―水のように、抗うことなくどんな状況にも応じて、しなやかに柔軟に在り方を変えることこそ最上だ―”という言葉を知り、正にこれが自分の中にある真実を表す言葉だと感じました。
たとえばドーピングにしてもそうです。僕にはドーピングをする人の気持ちはまったく理解できないし、お金、地位、名声といった結果だけを求めても、真っ当なプロセスを経ていなければ、生涯その負の意識に苛まれるはずです。もっと言えば、ドーピングをしたって弱いアスリートはやっぱり弱い。本物の強さではないし、いつか必ず負ける。僕は相手がドーピングしようがしまいが関係なく、誰よりも自分自身と向き合い、自分が本物として日々過ごしていれば、どんな相手であろうと圧倒的に強い、真のチャンピオンになれると思っています。
一方で、僕は競技だけが自分の人生ではないとも考えています。もちろん、スポーツは素晴らしいものだし、僕も大好きです。でも、社会が豊かだからこそスポーツが光ってくるのであって、最低限の社会生活の中では、スポーツは必要のないものだと思っています。だから、「僕のようなアスリートが結果を残せても残せなくても、世の中に対してそれほど影響はないはずだ」という想いが、僕の中にはあるんです。それでも、もしかしたら僕の言葉を聞いて、一人でも何か意識が変わる人がいるかもしれないし、そういう小さな可能性を期待して、きちんとした発言を残していくことも、大切な自分自身の『あるべき姿』だと思っています。
長野県白馬村生まれ。
白馬高校在学中にトリノ2006冬季オリンピックに初出場。以降、2010バンクーバー、2014ソチ、2018平昌と冬季オリンピック4大会連続出場。ソチ大会ならびに平昌大会ではノーマルヒル個人で銀メダルを獲得。
2017/2018シーズンのFISノルディックコンバインド・ワールドカップにおいて、個人総合優勝を達成した。