PLAY TRUE 2020

PLAY TRUE 2020

© Yuki Saito

Truth in Sport

専注(一つのことに全力を注ぐ)、堅持(やりとおす)

5歳から29歳で引退するまで、私は24年間ずっと、体操という一つの競技に打ち込みました。その中で学び、信念となったのが、「専注」と「堅持」、この二つの言葉です。中国語でいう「専注」とは、一つのことに全力を注ぐということ。二つめの「堅持」は、最後までやり通すという意味です。

一つのことを続けるうえでは、段階ごとにさまざまな目標を設定し、それに向かって専念し進んでいくことがモチベーションになると思います。私は身体が弱かったことから体操を始めましたが、幼い頃は「面白そうだから挑戦してみよう」という程度の単純な目標でした。ジュニアチームの一員となると一段階高いものを求めるようになり、市や省の代表に選ばれることが目標になりました。そして天津市の代表選手になると、天津市のために誰よりも良い成績をおさめられるよう頑張ろうという目標が生まれました。さらにナショナルチームに入ると、今度は代表選選手となって国のために頑張るという目標に高まりました。「専注」「堅持」の信念の下、そうした段階ごとの目標が私の大きな動機付けになりました。

天津市の代表となった頃は、新しい動きや技に挑戦することすら強いプレッシャーを感じていました。でもこの時期は、私の成長過程において非常に有意義だったと思っています。プレッシャーを自分自身の力で克服するということが、体操という競技、ひいてはスポーツがもたらす最良のものであり、次のステップに進む最善のものと感じられるようにもなりました。

他の人と比べるのではなく、昨日の自分に勝ち、今日より明日、強い自分でいることを心掛けるといった高いモチベーション。そして「専注」「堅持」の言葉を持ち続けたことが、競技人生をまっとうできた理由の一つだと思っています。

True Moment in Sport

陳 一氷

© Chen Yibing

12
1996

誰よりも努力し、自分自身を信じること

私は7カ月というかなりの早産で生まれたため、熱を出したり風邪をひいたりすることが多い身体の弱い子どもでした。そこで両親は、「この子は少し体を鍛えたほうがいい」と考え、私に体操を習わせることにしました。最初は両親も息子の身体を強くしたいと願っていただけだったので、まさかオリンピックの金メダリストになるとは想像もしていなかったと思います。

体操は若い時から始めたほうが、靭帯が鍛えられ、空間の感覚も養われます。練習自体は苦しく、鉄棒や平行棒の練習では手にタコができ、辛くてやめていく子どもはたくさんいました。でも私は「まだ耐えられる」と思って頑張り、そのうちに良い成績も出せるようになって、次第に「向いているのかな」と感じるようになりました。12歳で天津市のジュニアチームに加わり、天津市を代表して全国大会に出られるようになったのです。日中は学校で勉強、放課後はトレーニング、合宿所に寝泊まりして学校に通い、16歳からはシニアの大会に出場しました。

でも、国の代表選手に選ばれるまでの13歳から18歳の間は、とても辛い時期が続きました。練習はきついのに成績は悪く、優勝にはほど遠い。そんな中でも全国大会ではそれなりの成績を残していたため、幸運にもナショナルチームの一員に選ばれました。しかし、そこで直面したのは、私よりも若く、完成度も非常に高い天才たちがたくさんいるという現実でした。

その時、両親が言いました。「他の人と比べるのではなく、自分自身を高めなさい」と。私はその言葉を、「自分自身のチャンピオンとなる」ということだと理解し、実際に他の選手より毎日2時間多く練習するようになりました。また、その当時の黄玉斌ヘッドコーチも、「おまえには続けてほしい」と、諦めずに「堅持」するよう声をかけてくれました。数々の金メダリストを育ててきた名コーチである黄さんの言葉は本当に大きな力となり、苦しかった私にモチベーションを与えてくれました。

2008年の北京大会で初めてオリンピックに出場し、2009年からは代表チームのキャプテンに指名されました。まさかナショナルチームのキャプテンになれるとは私自身思っていなかったので、非常に誇りに思うと同時に、プレッシャーにもなりました。

私が世界一となったのは22歳と比較的遅く、キャプテンとなったのも25歳前後。年齢や病気と闘いながら、キャプテンとして若いチームメートの模範となるため、チームを励まし、元気づけ、気持ちを整えて次の試合に臨めるように努めました。でも、私を鼓舞してくれる存在はいません。私は毎日誰よりも早く練習を始め、若い選手と同じメニューをこなして、キャプテンシーを発揮するように努力しました。

これには非常に強いメンタリティが必要でした。けれど、オリンピックは、すべてのアスリートにとっての夢の舞台。プレッシャーや困難を乗り越えることに魅力があり、チャレンジし続けること自体が面白いのです。私は自分を信じ、努力することで前に進みました。

陳 一氷

© Yuki Saito

教育者、起業家として人々のヘルスを高める

「専注」「堅持」の思いのもと、私が次に抱いたモチベーションは、中国の人々のヘルスやウェルネスを高めるために、教育と私自身の事業を通して貢献していくことです。アスリートを引退した現在は、北京師範大学で学生にスポーツの理論と実践の両方を毎週教えています。理論は主にビデオとオンラインで学び、実践は教室で。解剖や筋肉の動きなどについてオンラインで学習して試験を受け、実際の動きやトレーニングをオフラインで学び、試験を受けるというカリキュラムです。オンラインの授業は北京師範大学以外でも中国のすべての大学生に公開されていて、1年間で百万人を超える学生が学んでいます。

近年、キャンパスでもスポーツがブームとなる中、トレーニングの重要性を意識する人々がますます増えてきている。ただウォームアップ、ストレッチといった基礎を、学生や一般の人たちは疎かにする傾向があるので、私は講義を通じて基礎的な知識・習慣の重要性を発信していきたいと強く願っています。

また、自ら出資をして起業し、会社経営も行なっています。主な事業は、パックされた安全な牛肉や鶏胸肉など健康的な食品に関係する事業、子どもに向けた運動のレッスン、大人向けの健康増進のフィットネスなどです。アスリートだけでなく、一般の方たちの体調管理や、ダイエットやシェイプアップといったフィットネスにも取り組み、たくさんの人たちの健康増進や身体能力向上に貢献できたらと考えています。

FUTURE

陳 一氷

© Yuki Saito

常に挑戦。自分の知見を多くの人たちに伝えていく

挑戦し続けることは、私にとって魅力的なことです。29歳で引退したあと、ナショナルチームに残ってコーチにならないかというお声掛けをいただきました。確かに私自身、アスリートを見れば、「このアスリートはチャンピオンまで行けるだろう」など判断できますし、世界一あるいはオリンピック金メダリストを教える自信はあります。けれど、5歳から体操を始め、そのまま30歳から定年までコーチをやり続けるよりも、自分自身が持っている専門知識をより多くの人に伝えるために、体操以外の分野にも目を向けることにしました。

私の今の目標は、第二の李寧になること。李寧は中国では非常に有名な体操選手で、1984年のロサンゼルス・オリンピック大会では金メダル3個、銀メダル2個、銅メダル1個の合計6個のメダルを獲得した国民的英雄です。李寧が引退後に起業して大成功を収めているように、私も起業家として成功を収めたい。人口が多い中国では、今ヘルスやフィットネスに関する需要が非常に高い。大学で教師として学生を育てると同時に、フィットネス事業を発展させる。これが、次に私が努力し達成させたい目標です。

また、私は2022年に北京で開催される冬季オリンピックのアンバサダーにも就任しています。中国は冬季オリンピック競技に関してはあまり強い国ではありませんが、この大会を機に中国国民がウィンタースポーツをより深く理解し、ウィンタースポーツを楽しむ機会が増えるよう、プロモーション活動をしていく予定です。

Truth in Me

陳 一氷

© Yuki Saito

昨日の自分に勝ち、自分自身のチャンピオンであれ

体操という競技では、常に努力を重ねて技の難易度を上げ、他の選手より完成度をさらに高める必要があります。私は、ライバルが私の前で完璧なパフォーマンスを見せるのを目の当たりにした後、非常に大きなプレッシャーを感じながら演技をしたことが何度もあります。自分以外、誰も助けてくれる人はいません。プレッシャーを受け入れて自分自身で問題に向かい対処し、それを乗り越えてこそ達成感があり、意義があると思っています。逆に、ライバルがミスをして自分が勝ったとしても、いくらかのうれしさはあるにせよ、完全な勝利とはいえないと思います。

身体が弱かった私も努力して世界一の地位に立つことができましたが、何より私が大切にしたのは、両親から教わった「自分自身のチャンピオンであれ」という言葉そのものです。誰かと比べるのではなく、昨日の自分より強くなる。今日は昨日の自分より少しでも上達する。特に世界一となった後、私の最大のライバルは私自身でした。私は絶えず「自分自身のチャンピオン」を目指し、自分を乗り越えてきたのです。

その信念は、29歳で引退した後も同じです。光栄にも中国アンチ・ドーピング機構(CHINADA)アスリート委員会の一員にもなることができ、アスリートがクリーンなスポーツ環境で戦えるために、私自身がアスリートの観点から正確な情報を提供することが大切であると思っています。大学、実業家、さらにCHINADAや北京2022大会のメッセンジャーとして、自分自身のチャンピオンでありたいと願っています。

もちろん、すべてのことが完璧にできるわけではありません。けれど、「専注」「堅持」という二つの信念を抱き続け、人生において常に、昨日の自分より今日の自分を少しでも成長させていくために進んでいきたいと思っています。

PLAY TRUE2020
Athlete Profile

Chen Yibing 国籍

生年月日
1984年12月19日生まれ
国籍
中華人民共和国
種目
体操

5歳で体操を始め、2006年に中国代表チーム入り。
2006年オーフスでの世界選手権からつり輪で4連覇。
北京2008オリンピック大会では、団体総合の優勝に貢献し、種目別のつり輪で李寧以来24年ぶりとなる金メダルを獲得。ロンドン2012オリンピック大会では中国男子体操チームのキャプテンを務め、団体総合では2大会連続の金メダルを獲得。

現在、北京師範大学で教鞭を取るともに、フィットネス事業などを行う実業家でもある。中国アンチ・ドーピング機構(CHINADA)ではアスリート委員を務めている。

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