© Keita Yasukawa
初めて雪の上を滑ったのは、2017冬季アジア札幌大会スノーボード回転の競技本番4日前のことです。
『スポーツのチカラ』は、これまで雪を見たことがなかった僕を、札幌の雪の世界へいざなってくれたのです。
ベトナム北部の山岳地帯では冬に雪がちらつくことはありますが、スノーボードができるほどの積雪は望めません。ましてや僕の住んでいる南部のムイネーという町は、ビーチリゾートとして観光客が訪れるようなところです。雪が降ることはまずありません。僕は、ムイネーの砂丘で雪を想定した練習に励み、2017冬季アジア札幌大会に臨みました。
一見無謀とも思えるこの挑戦を僕は、『スポーツのチカラ』が導いてくれた冒険ととらえ、ベトナム代表としての誇りを胸に精一杯頑張りました。
そして、心から楽しみました。アジア各国に仲間の輪を広げることができたのも、この冒険で得た大きな宝物です。
『スポーツは、真摯な心構えで打ち込むことにより、心身を鍛えてくれるものであり、多大な可能性をもたらしてくれるものである』
これは、アスリートとして僕が抱く信念です。
真摯な心構えとは、まず正直であること。これは自分自身や周囲の仲間たちに対してだけではなく、試合で競い合う相手に対しても同じです。敵味方の隔たりなくお互いをリスペクトし共鳴しあうことで、みんなが、アスリートとしてだけでなく、人間としても成長していけると僕は思います。そして、辛いトレーニングや、激しく厳しい試合のなかからも、楽しさを見いだせるようになります。
人は楽しいことをしているとき、自然とポジティブな気持ちになれます。
そうやってスポーツは新たな人とのつながりを生み出してくれるのです。
僕は幼少の頃、身体の線も細く、背も低く、どちらかというとひ弱な子どもでした。そんな僕を健康でたくましく成長させてくれたのが、12歳のときに始めた武術です。
ベトナム中部のビン・ディン地方発祥の伝統武術である、ビン・ディン武術。
そこで出会ったミン師範は、親身に、そして時に厳しく僕を指導してくれました。
ビン・ディン武術を続けていくなかで、心も身体も力強く成長していきました。以前から学校の先生になりたいという夢を持っていた僕は、ミン師範のような先生になり、子どもたちにスポーツを教えたいと思うようになりました。
ミン師範の教えなくしては、アスリートとしての現在の自分はなかっただろうと思います。
12歳のときのビン・ディン武術との出会いは、僕の人生のなかで最初の大きなターニングポイントです。
二つ目の大きなターニングポイントは、21歳のとき、ムイネーから200キロほど離れたところにあるベトナム最大の都市ホーチミン市を訪れたときのことです。
当時市内の病院に入院していた姉のお見舞いに行ったのですが、その途中、公園でスケートボードをやっている人たちを見かけ、興味がわきました。すぐにスケートボードショップに駆け込みましたが、お金が足りずに買うことができませんでした。しかし、そこでその様子を見ていた店主のフックさんは、無料で僕にスケートボードを貸してくれたのです。
その日を境に僕はボードスポーツにのめり込んでいきました。スケートボードを貸してもらったあの瞬間が、今回の札幌への冒険の第一歩だったのかもしれません。
ホーチミン市でスケートボードと出会いムイネーに戻ると、今度は海外からの観光客がカイトサーフィンをしている姿にも惹かれるようになり、22歳頃から海のスポーツに挑戦するようになりました。
今では、地元の子どもたちや観光客に、カイトサーフィンやサーフィンを教えるインストラクターの仕事をしています。
小さい頃の夢であった学校の先生とは少し違いますが、人に何かを教え伝えるということにおいては同じです。教える立場として、僕が一番大切にしていることは、“優しく、そして辛抱強く教える”ということです。この指導方針は、ミン師範からとても大きな影響を受けました。
今回の2017冬季アジア札幌大会への出場が決まったのは、つい半年ほど前のことです。
かつて僕にスケートボードを貸してくれた店主のフックさんが、その後の僕の活動を聞き、フックさんの友人である現在のベトナムスノーボードナショナルチームのコーチに伝えてくれたことがきっかけでした。
スノーボードのベトナム代表選手に決まってからの5ヶ月間、砂を雪に見立て、サンドボード・スタイルで練習を行ってきました。
雪のゲレンデへの大きな冒険は、僕にとって生涯忘れることができない思い出深いものになりました。
そして決して忘れてはならないのは、人と人とのつながりや、出会った人たちの優しさがあって初めて実現することができた冒険だったということです。
© Keita Yasukawa
札幌への冒険を終え、僕はまたムイネーに帰ります。
この冒険を通し、僕は計り知れないほど多くのものを得ることができました。
夢を追うことの素晴らしさを経験し、スポーツの楽しさや厳しさをあらためて学ぶこともできました。
真摯に真っ直ぐに向き合うことで、スポーツの持つ可能性の大きさを肌で感じました。
今回僕は、雪のないベトナムからでもスノーボーダーになれるという可能性を証明することができました。
アスリートとして国を代表するのは今回が最初で最後かもしれませんが、将来、スノーボーダーになることを夢みるベトナムの若者や子どもたちが現れたとき、僕は喜んで雪の世界への道しるべになりたいと思っています。
ムイネーに戻り、僕は結婚します。父親になる日もそう遠くないと思います。
自分の子どもには、心身ともに強く、そして優しい人に成長してほしいと強く願っています。そして、男の子であれ、女の子であれ、僕と同じようにスポーツを楽しんでくれたら嬉しいです。
自分自身の父親像や新しい家族のことを思い描きながら、ムイネーに育つ子どもたちの未来を考え、自分の担うべき役割を意識し始めています。
僕はこれからも、カイトサーフィンやスケートボードの先生として、ミン師範のような指導者になるという夢を追い続けながら、冒険にチャレンジする人たちとスポーツの可能性を共有していきたいと思っています。
© Keita Yasukawa
© Keita Yasukawa
僕はこれまでの人生で、両親はもちろんのこと、兄、姉、妹などの家族の支えや、武術のミン師範にはじまり、スケートボードショップの店主フックさん、そして、たくさんの仲間たちなど、数えきれないほど多くの人との出会いに恵まれ、その恩恵を受けて成長してきました。
12歳の頃から10年間続けたビン・ディン武術では、アスリートとして勝負できるほどの強い心と身体を手に入れることができました。
それと同時に、自立した人間として、夢を追いかけ生きるうえでの指針となることを学ぶことができました。
実のところ17歳のとき、家計を助けるために高校を中退し働き始めました。両親はそれまで、僕たち5人の子どもを、苦労しながらも、優しく育ててくれました。
そんな一番身近にいる両親が困っていたら助けるのは当然のことですし、日頃から、家族や仲間、周りの人たちを大切にすることは、人としてあたりまえです。そうすることで新たな出会いが生まれ、人と人はポジティブにつながっていけるのだと思います。
現在のベトナムで、スポーツを仕事とするプロのアスリートというのはごく限られています。ただし、プロであろうと、そうでなかろうと、そのベースにある『スポーツのチカラ』に変わりはありません。
僕は、子どもたちに『スポーツのチカラ』を伝え続けていきたいと思います。
そして、それが子どもたちの未来の冒険へのきっかけとなれば、とても嬉しいことです。
1989年、ベトナムに生まれる。生来、体格に恵まれずひ弱であったが、12歳より伝統武術ビン・ディン武術の修練を積む。
21歳の時、ホーチミン市でスケートボードに出会いその後ボードスポーツにのめり込む。
22歳には、カイトサーフィンをきっかけに地元ムイネーの海に入るようになる。
現在は、サーフィン、カイトサーフィンのインストラクターとして活動中。
ホーチミン市のスケートボードショップの店主の推薦で、2017冬季アジア札幌大会 スノーボード男子回転におけるベトナム代表となり、同大会に出場を果たす。