© Keita Yasukawa
私には右腕がありません。
それは身体的な障がいではありますが、弊害ではありません。障がいを妨げとするか否かは、個々のとらえ方に委ねられることだと思います。
私には、人生においてとても大切にしている4つのモットーがあります。
それは『リーダーシップ、チャレンジ、自律、モチベーション』です。
何かを成し遂げようとするとき、自分自身のなかに強い『リーダーシップ』を持つことが求められます。自らを引きつけ、突き動かすチカラです。自分自身をリードすることができて初めて、周囲の人たちをリードすることができるものだと思います。
どの分野においても、さらなる向上を目指し挑戦を続けることは大切です。目指していることや、乗り越えたいことの大小は重要ではありません。大きな飛躍や大成功はもちろん素晴らしいことですが、たとえそれが些細なことであっても、現状より少しでも先へ、ほんの少し上のレベルへと、『チャレンジ』し続けることが重要なのです。
そして、社会のなかにおいて、その一員としてみんなと共存していくうえで、『自律』することは絶対に必要です。人間は一人では決して生きていけません。自分自身の責任を自覚し、その行動を自らマネジメントすることが求められます。さらに、自分自身を律することで時間を生み出すことができ、新たなことに挑戦することができます。
これらのモットーを心にして、何か行動を起こすときに必要なのが『モチベーション』です。頑張った後や、困難を乗り越えた先に得ることができる物事を思い描き、それを自らの意欲に結びつけていくのです。
これまでの人生のなかから学び、そして心に銘じてきたこの4つのモットーは、大学卒業後に飛び込んだビジネスの世界においてだけでなく、スポーツにおいても通ずることだと、私は信じています。実際、2年前から本格的に始めたトライアスロンにおいて、この4つのモットーは自分自身をアスリートとして成長させてくれました。
私が右腕を失ったのは13歳のときです。
誤って農業機械に巻き込まれてしまいました。
その日を境に、生活が一変しました。それまで右腕でやっていたこと、両腕を使ってやっていたこと全てを、左腕一本でできるようにしなければいけなかったのですから。
最初はふさぎ込んでしまいましたが、ほどなくして、事故の現実を受け入れ、ポジティブに前を向けるようなっていきました。
幸いにも私の両親は、右腕を失った私をそれまでと同じように、そして他の4人の兄妹と分け隔てなく、厳しく接し育ててくれました。
しかしそれでも、辛いことはたくさんありました……。きっとあったはずですが、今となってはあまり覚えていません。嫌なことをすぐに忘れることができるポジティブな性格は、私が育ってきた家庭環境のおかげだと思います。
一つ胸を張って言えることは、右腕がないことで常に人の倍以上の努力をしてきたことにより、強い人間になれたということです。
キルギス国立大学を卒業後、日本の政策研究大学院大学で1年間学びました。帰国後の2003年からは、地方のインターネット環境のインフラ整備を仕事としました。そして2007年、30歳のとき、臨床検査事業を行う民間会社を、隣国のカザフスタン共和国に設立しました。日本の研究所との共同事業も行っています。
勉強したいという意欲や、社会をより良くしたいという願望をエネルギーに変え、新しいことに挑戦し続けてきました。
7年ほど前だったでしょうか、遠方に引っ越してしまう友人からロードバイクを購入したことがきっかけで、本格的に自転車競技を始めました。それまでの私にとってスポーツといえば、草サッカーなど、小さなころ誰もが遊びのなかで触れるような程度の経験しかなかったため、大きな挑戦ではありましたが、すぐにのめり込んでいきました。
『チャレンジ』するうえで心がけていることは、失敗を恐れないことです。失敗を恐れ何もせず後悔するより、何かして後悔した方がよいと信じています。
ロードバイクの魅力にとりつかれた私は、その魅力をより多くの人たちと共有したいと思い、ロードレース大会を主催することにしました。当初50人にも満たない参加者数でしたが、6回目をむかえた昨年の大会では、その数は250人を超えるまでになりました。さらに大会の数を増やし、国内各地に広げていくよう働きかけています。
日頃、ロードバイクを楽しむサイクリストの姿をよく見かけるようになってきたことは、とても喜ばしいことです。
トライアスロンの世界に足を踏み入れたのは2年前です。
何かの記事でパラトライアスロンの存在を知ったことがきっかけでした。中央アジアにはパラトライアスリートがまだ一人もいないとのことでしたので、ならばやってみようと。37歳での新たな挑戦です。
泳ぎが苦手で、走ることが嫌いだった自分が、今となっては、ビジネスと両立させながら、夢中になってトライアスロンに打ち込んでいるのですから、不思議なものです。
スポーツを始める前から、ビジネスで成功をおさめるうえで、『自律』の大切さは身をもって学んできましたが、トライアスロンとの両立をはかる今、その大切さをさらに深く感じています。
わかりやすい例を挙げると、規則正しい生活を送ることが一つ挙げられます。
これはアスリートにとって絶対不可欠なことです。
早朝や仕事の合間、もしくは仕事が終わった後にうまく時間を作り、トレーニングに励む。こういった生活スタイルを通してビジネスとトライアスロンの両立を図ることは、タイムマネジメントのさらなるスキルアップにつながっています。
トライアスロンやロードレースに限らず、キルギス共和国国民のスポーツへの参加は、徐々に多様化し広がりつつあります。
皆でスポーツに励み、『自律』していく。そして、そのスポーツの普及が社会を活性化させる。とてもいい流れだと思います。
東京2020パラリンピック大会出場。
これが、日々のトレーニングに向けて私の背中を押してくれる最大のモチベーションです。
現在、私が中央アジアで唯一のパラトライアスリートだということで、各方面から注目していただいていますが、私自身は何一つ特別なことをしているとは思っていません。
私はただ、自分の内面から湧き上がるモチベーションに突き動かされているにすぎません。
性格上、脚光を浴びることがあまり好きではないため、あくまで陰から人々をモチベートする存在で十分だと思っています。結果的にそれがキルギス共和国の人々にポジティブな影響を与えることができていれば、それは私にとって大きな喜びです。
スポーツのみならず、ビジネスや社会活動などのあらゆる分野において、私の奮闘する姿が、特に障がいを持つ人々にとって、『モチベーション』を喚起する要因となれば、それほど喜ばしいことはありません。
パラトライアスリートとしての挑戦と平行して続けていきたいのは、人々がスポーツに挑戦できる環境をつくりモチベートしていくことです。ロードレース、トライアスロン、デュアスロンの開催など、新しいアイディアもたくさんあります。
これはまさにキルギス共和国スポーツ界の裾野を拡げることに直結する活動であり、とても重要視しています。
しかし、ただ単に出資をしてサポートするだけの資金提供者におさまるつもりはありません。それだけでは、私の人生の指針から外れてしまいます。
誰にでも、スターやロールモデルになれるチャンスがある。それに気づいてもらうため、私は常に人々の『モチベーション』にそっと火をともす存在であり続けたいと思っています。
© Keita Yasukawa
© Keita Yasukawa
私の祖国キルギス共和国は、過去25年の間に2つの大きな革命を経験しています。
1991年のソビエト連邦からの独立と、2005年のチューリップ革命です。
民主主義となった今は全てが自由ではありますが、過去の経験から、私たちは自由の尊さを感じながら生きています。
それと同時に、自由であるがゆえに発生している難題も抱えています。民主主義になってからまだ日が浅く、発展途上にあるため、国自体の経済の弱さは否めません。
その反面、私たちには、国からの援助に頼らず、自分たちで事を成せる強い精神があります。
欲しいものは待っていれば空から降ってくる。そんなことはありません。
欲しいものは、努力して自らつかみにいかなければなりません。私たちはそれをわかっています。だからこそ私は、資金提供といった方法だけでサポートするのではなく、人々が努力して自ら欲しいものをつかみにいく、そういった機会を提供し続けることが大事だと思っています。
キルギスにおいて、国レベルでスポーツの発展に全力が注がれるようになるまでには、もう少し時間がかかるかもしれません。けれど、厳しい境遇においても、強い『リーダーシップ』を保持し、頑張っているアスリートはたくさんいます。
彼らの存在は、国の人々にポジティブな影響を及ぼし、やがては国全体にパワーをもたらすに違いありません。
私のチカラは“大海のなかの一滴”にすぎないかもしれませんが、自分のベストを尽くし、『リーダーシップ』を持ったアスリートたちと共に、祖国のスポーツの発展に尽力していきたいと思っています。
スポーツのチカラを信じる人々がいるかぎり、スポーツ界のみならず、キルギス共和国の未来は明るいはずだと私は確信しています。
1976年、ソビエト連邦の構成共和国の1つ、キルギス・ソビエト社会主義共和国に生まれる。13歳の時に農業機械の事故によって右腕を失う。
2002年、日本に留学し、政策研究大学大学院(GRIPS)において、「Young Leaders Program」を修了。
30歳の時、臨床検査事業を行う民間企業を隣国のカザフスタン共和国に設立、3,000人以上の従業員を抱えるまでの規模に成長させる。日本の研究所との共同事業なども展開している。
プライベートでは、自転車競技に打ち込み、自身が参加するだけではなく、自国にてロードレース大会を主催するなど、普及活動にも貢献してきた。2年前よりパラトライアスロンに挑戦。2015年9月にシカゴで行われたITU世界パラトライアスロン選手権では銅メダルを獲得。ビジネスと並行し、パラトライアスリートとして世界を転戦。東京2020パラリンピック大会出場が目標。